解説 お江戸の科学

日本で生まれた和時計

日本に機械時計が西洋から伝わったのは、16世紀のこと。その後、不定時法に合わせるための様々な工夫が加えられ、日本独自の和時計の数々が考案された。和時計のしくみは、時計の速度を制御する天符の使用、分銅を使った速さの調節、そして動力に錘(おもり)やぜんまいが使用されるなど、西洋の時計のしくみと基本的には同じである。

不定時法に合わせた和時計の工夫

●一挺天符(いっちょうてんぷ) 天符は、振り子と同様に、時計の速さを制御する。不定時法では、昼夜の時間の長さが違うため、毎日2回、朝夕に分銅の位置を変え、速さを調節しなければならない。 ●二挺天符(にちょうてんぷ) 毎朝夕に分銅を掛け替える不便さを解消したのが、二挺天符。昼夜それぞれ専用の天符を設けた。明け六つに昼用の天符が動きだし、暮れ六つになると自動的に夜用の天符に切り替わる。季節による時間の変化には、24節ごと、つまり15日ごとに、分銅の位置をそれぞれ移動させるだけで対応できるようにした。

様々な和時計

和時計には、二挺天符のように文字盤を回る針の速度を変える(針が固定され、文字盤が回るものもあった)しくみのものや、“割駒式”といって文字盤の駒そのものを昼夜の長さに合わせてスライドさせるものなどがあった。また櫓時計、掛時計、尺時計、枕時計、懐中時計など、多様な形状の和時計が作られた。動力には、錘やぜんまいが使われた。

時計は大名、大商人のステータス

時計は時刻を知ることのできる便利な道具だが、一つ一つ手作りのため高価なことや、速さの調節、修理などが面倒で庶民には手が出ないものだった。そのため、こうした和時計は、大名や豪商などがステータスとして所有することが多かった。将軍や大名には、お抱えの時計管理人や、専門の技術者“時計師”がいた。

(→「セイコー時計資料館」のページで、いろいろな和時計が写真で見られます。)