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元教育長の子育て歳時記

第23回・春 「正しい自己判断」を支える能力は、どのような環境で身に付けられるのか 高橋良祐

先日、厚生労働省は新型コロナ感染症の標記を「コロナウィルス感染症2019」に変更する検討に入ったとの新聞報道がありました。5月8日に感染症法上の位置づけを「2類相当」から「5類」に引き下げることに伴う表現の変更のようです。この3年間絶えず耳にしてきた「新型」という言葉を削除し、緊急な対応から季節性インフルエンザと同様な対応にするようです。このことについても国民様々な意見があると想像できますが、この3年間国民一人ひとりの心に重くのしかかってきた「新型コロナ感染症」から少しずつ解放される方向にあるのは喜ばしいことと思います。

また、政府は2月10日に新型コロナ感染症対策の象徴のひとつでもある「マスクの着用」について、3月13日から屋外屋内に問わず「個人の判断」に委ねると方針を決定しました。更に学校現場では今春の卒業式は教育的意義を考慮し、児童生徒はマスクなしで式に臨むことを基本とし、4月の新学期においてはマスクの着用を求めないとしています。
学校では保護者や地域の方々との意見を聴きつつ卒業式の主役である児童生徒の意見を尊重して、一生の思い出である卒業式を意義あるものとするために力を尽くして下さることでしょう。本当にこれまでのコロナ禍での様々な対応に尽力された目に見えにくい先生方、学校の努力には頭が下がります。

ここで私が最も重要で注目すべきことと思っているフレーズは「個人の判断」という言葉です。個人の判断とは一人ひとりの価値判断に基づく「自己判断」であり、共有できる判断もあれば異なる判断もあるはずです。これまで3年に及ぶコロナ禍において経験された内容はそれぞれ異なるはずであり「マスクの着用」については、様々な意見があるのは当然なことはないでしょうか。異なる意見の中で大きな行事での方向性を定めていくことは困難なことだと容易に推察できます。
その「個人の判断」をある一定程度整えるためには「マスク着用」と「疫学的な効果」などの科学的知見が必要だと思います。その事無しに自分なりの正しい判断を下すことには無理があるように思います。

このコラムで述べたいことは「個人の判断」(ここからは「自己判断」と記しますが)を行うためにはどのような要件や能力が必要なのかについてです。
まず、「自己判断」についてです。自己判断とは言葉の通り、自分で今までの生活環境や経験、様々な学びや道徳的価値観などに基づいて主体的に考え行動するための根拠であり、まず大事なことは「主体性」だと言うことができると思います。

ここでいう主体性とは「一人ひとりが自らの可能性を十分に発揮し、持続可能な社会の担い手として、自ら進んで課題解決に取り組む姿勢」ではないかと思います。その解決に取り組む姿勢を育むには、幼い時から日常のささいなことを自分で判断して行動するという経験を積める環境が必要だと思います。
例えば快適な一日を過ごすためには「今日はどのような衣服を着るか」を考え判断することも主体性を育む要件となり得るでしょう。今日が幼稚園や保育園、学校がある日なのか土日なのかによっても判断は異なるでしょうし、お天気などに合わせる必要性も出てくるでしょう。日常生活の衣食住や世の中の出来事なども主体性に目を向けるだけで、おおいに子どもの主体性を育てられる環境が存在するのが分かります。その際、判断はあくまで子どもたちに任せ、その判断を肯定しつつ適切にサポートに徹する姿勢が大切な大人の役割なのではないかと思います。

次に子どもたちが正しく判断を下すためには、発達段階に応じた複合的な学びを通した知識や技能が必要になってきます。身の回りに起こっている事象を正しくとらえられなければ正しい判断を行うことは出来ません。例えば、「カブトムシを飼育したい」と子どもが求めたとします。どのような飼育環境が必要になってくるでしょうか。大好きなカブトムシを大切に飼いたいためには、カブトムシのことを知らなければなりません。どのような場所で生きているのか、そしてどのように育っていくのかなど丁寧に調べる必要があります。このことを通して自宅で飼えるのか飼うためにはどのような環境を整えるのかなど、大人のサポートを得て子どもなりに思考し判断するための知識や技能が必要になります。
どのようなことでも、子どものやってみたいことを丁寧にサポートして最後までやり切れる経験こそ、子どもたちの主体性を育み正しい判断できる真の学びや経験になり得るのだと思います。

結びに道徳的価値観について述べたいと思います。
道徳的価値観とは普遍的な価値観とともに変化する価値観もあるように思いますが、現代は普遍的価値観から導かれる行動の真逆な行いをする者の報道が連日続いています。そのような報道を見聞きし暗たんたる思いを持たれている方々がほとんどではないかと思います。
コロナ禍において詐欺事件を起こした官僚、闇バイトを使っての強盗殺人事件や特殊詐欺事件、あおり運転事件、回転寿司店などにおける迷惑行為など挙げたらきりがありません。いずれも自分たちの持っている能力を反道徳的・社会的な判断で行動している典型例です。そこには人間的な優しさや思いやり、品性などの欠片もありません。
言うまでもなく自己の能力を正しくどのような方向に使うのかを決するものは、普遍的な道徳的価値に基づいた「自己判断」です。「自己判断」を正しい方向で導く、普遍的な道徳的価値観はどのような環境のもとで涵養されるのかを考えてみたいと思います。

まず子どもたちの身近なロールモデルの存在が必要です。子育てをされている親御さんたちは、まず子どもたちの道徳性や社会性を育むために子どもたちの行動に絶えず気を配り、子どもに声がけしています。公園の滑り台などの遊具の順番待ちなどでよく目にする光景があります。子どもたちから見ると親御さんの態度や声がけなどはまさにロールモデルの姿そのものです。日常生活の何気ない行動に道徳的価値観を意識して目を向け、子どもたちが育つ生活環境づくりを行うことが、とても大切なのではと思っています。自分や周りの方々の安全を守るための行動規範など、幅広く生活を通して丁寧に示すことが重要です。その際、押し付けではなく子どもの意見を聞きつつ、より多くの方々がルールを守り、互いに納得し尊重し合いながら安全で楽しい行動をとっていることを子ども自身が気づくことが大切なのではないでしょうか。
また、道徳的価値観を自分の行動にしっかり反映するためには、子どもたちに自尊感情(自己肯定感、自己有用感など)が育っていることが極めて重要だと考えています。
これらの感情がよりよく育つためには家庭より圧倒的に多くの方と接する機会がある学校教育や地域社会での学びの場が重要であると思います。
いつも取り上げている「誰一人取り残すことなく、公正に個別最適化され、資質能力が一層確実に育成できる教育環境」を実現することの重要性は、学びの機会を通して子どもたちの自尊感情を高められる場となることも強く求められていると思います。
前回のコラムでも述べましたが、自分が自分の責任において自らの行動を決定するためには、自分自身で様々な状況や資料を取捨選択し、その上で思考し判断することが必要であると同時に、他者に認められる経験をよく多く得ることが必要だと思うのです。他者と課題を共有しながら自分の考えを示し、それをより多くの方に認められる経験こそ自尊感情を豊かにすることができると思います。集団で学ぶ良さがここにあると思います。

今、認知能力と非認知能力のバランスの良い教育の実現が重視されています。学校などで学ぶ知識・技能がより自分の生活環境の問題解決に役立っていると感じられる学び、言い換えれば学ぶ価値が感じられる学びです。学校など集団での学びを通して自尊感情が確かに養われ、確かな「自己判断」が育成できる教育の実現が今求められていると思います。
人は「励まされ」「認められ」「褒められる」ことでより自信をもって正しく行動できるようになるのだと思います。普遍的な価値観と変化している価値観の中で子どもたちが主体的に正しく「自己判断」できる能力を育むためにも、自分の周りの人々に優しい目線と温かな心で接する社会でありたいと心から思います。そして様々な門出を迎えている子どもたちの前途が輝かしいものでありますように心から願っています。

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高橋 良祐(たかはし りょうすけ) 1953年栃木県生まれ 学研特別顧問、学研教育総合研究所客員研究員
高橋 良祐

東京学芸大学教育学部数学科卒業後、小学校教諭に。東村山市立秋津東小学校、世田谷区立東大原小学校を経て、町田市立鶴川第三小学校の教頭に。その後、中央区教育委員会・指導主事、港区教育委員会・指導室長、東村山市立化成小学校校長職を経て、港区教育委員会の教育長に就任。教職経験を生かし、ICTや英語教育、国際学級など、教育改革に取り組む。2012年10月に退職。

2013年4月から、学研ホールディングスの特別顧問、学研教育総合研究所の客員研究員に就任。豊富な経験から適切なアドバイスなどを発信している。

おもな著書(共著):
「新しい授業算数Q&A」(日本書籍)
「個人差に応じる算数指導」(東洋館出版)

写真撮影:清水紘子 (イメージ写真を除く)

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